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『EVERYDAY NOTES』

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『OPENNING NOTE』

 
 

EVERYDAY NOTES - archive - 2013 march

3月31日(日)
 朝から高砂へ。合気道高砂道場の5周年記念演武会へ。桜が綺麗に咲いた体育館で、子供たちと一緒にお稽古し、演武を見る。少しずつ、少しずつ、積み重ねてきたものが、これだけ沢山の人と一緒につくりあげたものとして立ち現れていて、なんだか胸がちょっぴり熱くなる。祝福に包まれた空気であった。

 終わったら、すぐさま大阪へ。個展最終日、たくさんの友人たちがまた来てくれていて、感無量。夜は、画廊主の新居さんらと打ち上げ。

3月30日(土)
 朝から連日のNii Fine Artsにて在廊して、みなさんとお話しする。合気道の先輩から建築家の島田陽さんまで、実にたくさんの人が来てくれた。最後に山本画伯が再度来てくれて、一緒に食事する。バール・ウーノで2次会。あれこれ話し合う。

3月29日(金)
 朝からNii Fine Artsにて在廊して、接客。平日にも関わらず、たくさんの人が来てくれた。

 夜、凱風館のお稽古に滑り込む。ちょびっとだけ合気道する。深夜、原稿を書いたりする。

3月28日(木)
 朝稽古。午前中、中島工務店と打ち合わせ。午後、メールなどの雑務。夕方から京都へ。MMKKから変則鼎談を新しいミシマ社でやる。盛り上がっていたら、あっという間に3時間。来週「みんなのミシマガジン」に掲載予定。

3月27日(水)
 巡礼部2日目。那智の滝へ。自然の中をよく歩く。階段が多い。火祭りの話が印象に残る。海との関係でまた、霊的なパワーの広がりが違うのを実感。那智の滝をスケッチする。バスでは爆睡。熊野は、2日間では、到底時間が足りないので、また行きたいと思った。

3月26日(火)
 巡礼日初日。熊野古道へ。内田先生と凱風館で待ち合わせて、電車で新大阪へ。合気道の審査における、先生の見所「メタ」のレベルで合気道をどのように捉えるか、についてお話を聞く。新大阪からいざ和歌山県の熊野へ。2年前の台風の被害がどれほど大きかったか、今でも傷跡が残っていて、感じる。山歩き。道があって、民家ができたのか、民家ができて、道ができたのか。

 夜は、温泉に入って、深夜、全日本のサッカーを見るも、ヨルダンに2-1で負ける。

3月25日(月)
 午前中、メールなどの雑務と電話対等。午後、Nii Fine Artsにて在廊する。自分の作品について、あれこれ話すのは、また違った発見があったりして良い。夜、読書と原稿。

3月24日(日)
 合気道の合宿3日目。足首をひねってしまったので、見取り稽古。昼は、かつカレー。バスで爆睡する。合気道三昧の日々だった。

 夜は、中華料理を食して、家を整理していく。家具もやっと整ってきて、部屋らしくなってきた。

3月23日(土)
 合気道の合宿2日目。朝から呼吸法と杖のお稽古。朝ご飯と食して、合気道のお稽古。お昼を食して、少し寝たら、またお稽古。午後は、昇段審査。みな、気迫が伝わってくる合気道を披露されて、身が引き締まる。

 夜は、昇段した先輩方の挨拶。それぞれがそれぞれの思いを語り、実に暖かい空気に包まれる。宴会は、深い時間まで続いた。

3月22日(金)
 合気道の合宿初日。引越しした家の前が集合場所で、なんだか得した気分。神鍋高原にて、総勢80人での合宿。着いたら、道着に着替えてさっそくお稽古。4時間。美味しいすき焼きをペロリと頂く。ご飯は、もちろん大盛り。

3月21日(木)
 朝稽古に寝坊してしまう。ショック。午前中、メールなどの雑務。午後、淀屋橋で在廊しながらの仕事をする。夜は、読書もほどほどに、明日からの合宿のために早寝する。

3月20日(水)
 午前中、乃木坂のギャラリー間で撮影。昼過ぎ、打ち合わせを2本。如風庵と祥雲荘の進め方を決めていく。

 夕方の新幹線で神戸へ。夜、翻訳家の柴田元幸さんの朗読会に参加する。すごいスピードで小説を読み上げる柴田さんの声とスピード感に惹き込まれる。言語と人格について質問させてもらう。「Get the Voice Right」というフレーズが印象に残る。純粋に朗読っていいな、と思った。

3月19日(火)
 東京快晴。朝からNHKの番組の撮影で多摩美術大学図書館へ。外部と内部でみっちり撮影。合間合間にメールチェックや電話対応。

 午後、表参道での撮影を終え、帰宅。打ち合わせ一本。雑務を済ませて、銀座へ。ギャラリー小柳にて鈴木理策さんの写真展を見る。セザンヌのアトリエが美しく写真に収められていた。夜は、リクシルにて、建築家の平田さんと古谷さんのレクチャーと対談。それにしても、たくさんのプロジェクトを紹介するパワフルなレクチャーだった。

 夜、原稿のチェックバック。深夜、あれこれ図面チェック。

3月18日(月)
 朝一の新幹線で帰京。昼、NHKの番組のため、伊東さんとインタビュー。プリツカー賞を受賞したその日にお逢いするなんて勝手に運命を感じてしまう。2時間弱、みっちりと伊東さんの建築に対する挑戦と思考を垣間見ることができて、ものすごく特別な時間になった。

 夕方、打ち合わせを2本。みっちり、祥雲荘と如風庵の詳細を決めていく。屋根について。夜、原稿を集中して書き切って、送信。

3月17日(日)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。昼、画廊にて個展に来て頂いたお客さんとお話する。みなさん、貴重な感想を話して下さり、とても刺激になる。アメリカ時代の幼なじみや合気道の先輩方にも来て頂き、盛況であった。小学校の同級生が息子さんと来て、21年ぶりの再会。しかも、ポストカードになっている『ベルリン・ドローイング』を買ってくれた。これは、本当に嬉しかった。

 夜、凱風館にて、門人の結婚式。いつもの道場がこれまた違った雰囲気になり、祝福にあふれた素敵な結婚式だった。三宮のイタリアンで2次会。フラダンスや日本舞踊、ギター演奏がすばらしかった。激動の日々が続く。

3月16日(土)
 午前中、メールなどの雑務。昼から画廊にて、接客をする。たくさんの方々が来てくれて、たくさんの方々とお話する。新しい住宅の設計依頼をしてくれたご夫妻も来て頂き、打ち合わせ。すごく強いご縁を感じたし、わくわくする。

 夕方、個展のオープニング記念として山本浩二画伯と対談する。「建築と絵画、あるいは建築と美術にまつわる話」と題して、90分、熱く語り合った。観客には内田先生と三木健さんがいる20人限定の贅沢な集いとなった。内容は、きっと忘れることのできない貴重なもので、これから建築家としてやっていく上でも支えになるような貴重なメッセージがたくさんあった。近く『みんなのミシマガジン』に掲載予定。打ち上げは、カフェ・ウーノ。ここでも大いに盛り上がり、長い一日が幕を閉じた。感無量。

3月15日(金)
 午前中、芦屋で所用を済ませて、淀屋橋へ。初日からたくさんの方々が来て頂く。夕方には、オープニングとして、飲み物や一品料理が出て、わいわい盛り上がる。麻雀連盟の方々も来てくれて、大いに盛り上がる。量がものすごく多い中華料理屋で打ち上げる。

3月14日(木)
 午前中、教室会議。午後、メールなどの雑務と電話対応。資料作成に追われる。夕方、新幹線で大阪へ。

 Nii Fine Arts画廊にて、セッティングの打ち合わせ。ついに個展がスタートするので、わくわくする。前夜祭として、コレクターさんのやっているレストランへ食事に行く。衝撃の空間だった。いやはや。

3月13日(水)
 午前中、祥雲荘の現場定例会。あれこれとしっかりと決めていく。午後、NHKの打ち合わせ。夕方、メールなどの雑務と電話対応など。如風庵の細かい検討も続ける。ホームページのアーカイブ作業など。

 深夜、粘りに粘って、『バルセロナ・ドローイング』を完成させる。ふぅ、これで個展に出す作品をすべて描き上げた。

3月12日(火)
 午後、成田空港着。汐留ミュージアムで二川幸夫さんの写真展『日本の民家』を見る。極上の日本の風景に見入る。

 夕方、荷解きもほどほどに、メールなどの雑務と電話対応。PHPの丹所女史と打ち合わせ。6月からのグラビア連載が決まり、あれこれとアイデア出し。僕はいつもこうして人と話しながら考えていることを実感。

 夜、新作『バルセロナ・ドローイング』を描き進める。金曜日の個展までにどうにか間に合わせたい。

3月11日(月)
 徹夜して朝、二川幸夫さんの訃報を知って、驚愕する。何だか信じられない。学生時代に一度、課題のクリティックでお逢いしたことあるが、プロポーションを指摘されたのを覚えている。『GA』という雑誌が建築界にした貢献はあまりにも大きい。心よりご冥福をお祈りします。

 シカゴ・オヘア空港へ。成田空港へのフライトで時差もあり、この一日が終わる。

 あの日から2年が過ぎたことになる。信じられないスピードでいろんなことが変化しているが、根底に流れる部分での自分の変化、そして社会の変化について、意識的でいたいものだ。

3月10日(日)
 朝から雨。でも、最終日だし、どうってことない。パンケーキを食すもあまりに多くて残してしまう。

 まずは、ライトのプレイリー住宅の集大成であるロビー邸へ。道路のアイレベルから見たプロポーションの美しさにはっとする。ライトの空間の流動性と敷地に対する理解と設備的なトレードオフ、材料の目地の変化など水平性に対する執着心。1時間のガイドでその豪邸の空間性を体験する。子供と大人の遊ぶための空間が一階にあり、二階がフォーマルなゲストを招くダイニング、リビング、三階がプライベートな寝室というシンプルな構成。

 午後は、ミースのクラウン・ホールとレムの学生センター。前者は、ベルリンのナショナル・ギャラリーとの類似性が明確に読み取れた。大きな気持ちのいい空間で学生たちが模型をつくったりしていて、何とも贅沢な学生たちである。後者は、なんともスリリングな建築だが、自分の感覚や美学が違和感を覚える部分もある。

 夕方、昨日閉まってて行けなかったユニティ・テンプルへ。ライトの初期の公共建築。教会の椅子に座りながら、この建築のスケール感と空間の密度について考える。トップライトの装飾性。カーンのブリティッシュ・アートと比較して考えると分かりやすい。

 夜、小泉先生とあれこれ話し込む。出張の総括やライトとミースの建築談義、大学における役回り、建築家として今後の課題など、話題はつきない。まだ帰国してないが、本当に充実した出張となった。

3月9日(土)
 午前中、アーティスト・カフェでポーチドエッグを食す。美味しかった。昼前、ライトの自邸を見学。その早熟な天才の仕事は圧巻。そのデザインの密度、荒っぽい中にも折衷していく自在な感覚がすごい。6年後に増築された事務所部分も変化が見られて印象深い。幾何学と装飾のバランスが美しい。

 そのままオークパークにある20の住宅を見てまわる。これだけたくさんのライト建築を一気に見られるのは貴重な体験。そして、住宅街にライトの熱が伝染し、ライトっぽい住宅もちらほら見られる。

 夜は、ライトが働いていたサリヴァンの代表作、オーディトリウム・シアターへ。絢爛豪華で壮大な空間。アーヴィン・アイリーのダンスを見る。3部構成で、最後が特に良かった。深夜、ぐっすり寝られず、何度か目が覚める。時差ぼけかもしれない。

3月8日(金)
 朝からラシーンへ向かう。2時間ほどでラシーン・アート・ミュージアムへ。修復を重ねたモダンな建築。コレクションもクラフトに特化しており、銅版画など美しかった。NUNOのスカーフをショップの人に指摘され、あれこれ盛り上がっていたら館長のブルースを紹介され、話し込む。素敵な方だった。キューピーというハンバーガー屋さんでランチ。チーズバーガー。

 午後は、ジョンソン&ワックスの見学会。『To Be Alive』というショートフィルムと家族経営のムービーを見る。飛行機にまつわる父と子の物語。そして、後半は、いよいよ建築探訪。フォスターの新しい建築とライトのオフィスを見る。タワーは修復中だが、82年以降、消防の避難経路の問題で使われていないらしい。オフィス空間は、見事。マッシュルーム柱の連続する空間と柔らかいトップライトにとろけるような空間が広がっていた。内部は写真禁止だったので、スケッチをする。

 夜は、ユナイテッド・センターでマイケル・ジョーダンの聖地へ。ブルズ対ジャズ戦を見る。今となっては、一人も選手が分からないが、何とも愉快なアメリカのスポーツ・エンターテイメントを見ることができた。89-88でブルズの勝利。

3月7日(木)
 朝から電話調整し、ファンズワース邸へ。雪の中に浮かぶファンズワース邸はあまりに美しかった。小泉先生とプライベートガイドでじっくりと案内してもらう。施主の物語や建築の使われ方など、興味深い話が満載。テラスのネットの話や橋の建設など、川との関係など、ミースの建築について示唆に富んだ発見が多い。2枚のスケッチをする。

 興奮気味で遅い昼ご飯。あれこれと話あって、今後の研究について模索する。

 夜、ウィルス・タワーに登って、シカゴの夜景を見る。この都市のできかた、ミシガン湖から西にスプロールする形態、光の質感、蛇行する道など、おもしろい体験だった。肉厚のピザを食してホテルに戻る。

 深夜、メールであれこれやりとり。そして、原稿を書き進める。『放課後のベルリン』の書籍化に向けてグイグイと加筆作業。昔の自分との対話を楽しみながら書く。

3月6日(水)
 吹雪は通り過ぎたようで、雪は地面に残っているが空は晴れていた。まずはレイクシュア・ドライブへ。ミースのガラス建築を見る。ディテールやプロポーション、素材の使い分けについて考察。

 午後は、建築財団にて情報収集。ライトのルカリーを見たり、ミースの連邦政府ビルを見る。

 夕方は、ミレニアム・パークでゲーリーの屋外シアターとカプーアのステンレス彫刻を体験し、シカゴ美術館に入る。駆け足で見て回る。ピカソの企画展も良かったし、モネなどの印象派が充実していた。シャガールのステンドグラスも見応えがあった。建築は、レンゾ・ピアノの増築が洗礼されたモダンな空間だった。

 深夜、時差ぼけで全然寝られず、『ニューヨーク・ドローイング』を一気に完成させる。納得のでき、来週の大阪での個展でお披露目する予定。

3月5日(火)
 始発の新幹線で東京に帰る。午前中、メールなどの雑務と電話対応。シカゴ出張中のやりとり体制を整えて、不確定要素がないようにあれこれとセッティングとオペレーション。

 午後、出張の準備もほどほどに成田空港へ。それにしても我ながらよく動いているな。出発ロビーで小泉先生と合流し、シカゴへ。珍しく飛行機ではあまり寝られず、3本の映画を見る。『アルゴ』と『世界に一つのプレイブック』、『人生の特等席』を見る。どれも想定内な作品だった。

 11時間のフライトでシカゴ着。時差の関係上、同じ日に着いた。着陸したらびっくり、真っ白。吹雪。小泉先生に、自分が「雨男」であることを告白される。びっくり。「先行きが真っ白」だったが、充実した出張にしたい。ホテルで1週間の予定を確認し、早めに寝ることにする。しかし、朝方起きてしまい、個展のための新作ドローイングを描き進める。シカゴにいるのに、ニューヨークの風景をコラージュしている。

3月4日(月)
 午前中、メールなどの雑務と凱風館での修繕工事立ち会い。新しい設計依頼が届く。

 正午、東灘区役所にて婚姻届を提出。凱風館書生1号の永山春菜さんと入籍する。たくさんの祝福を頂き、これからも精進していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 午後は、所用でポートアイランドの方で動き回る。電話対応など。マトグロッソの原稿をチェックバック。夜、内田先生夫妻とディナー。ステーキを食べながら、楽しい時間を過ごす。ユダヤ人の話で盛り上がったかと思うと、清水崑のカッパの話や80年代のフランスのインターネットや現代のツイッターの話、神戸牛の品質の話、合気道やダイエットの話、結婚式のスケールや衣装の話など、話題は尽きない。二人の両親もそうですが、内田先生夫妻も、こういう風になりたいという人生のお手本のような方々である。

3月3日(日)
 午前中、メールなどの雑務。新作の銅版画の着色作業を進める。午後、島田陽さん設計の「石切の住宅」のオープンハウスに伺う。実に斬新な空間の組み合わせを実現した、面白い家だった。倉方さんらとも会って、雑談。夕方、新居さんと画廊にて打ち合わせ。作品の配置など、個展についてあれこれと話し合う。いよいよ2週間後に迫り、わくわくする。

 夜は、フットサルメンバーの皆さんともつ鍋をつつく。いやはや、実際においしい料理を食べているのだが、愉快な仲間たちと食すものは、一段と美味い。

3月2日(土)
 午前中、凱風館にて合気道のお稽古。2時間前に来て、昇級審査の対策稽古。気がつけば、審査の時間。集中して今できる自分の合気道をやらせてもらった。何とも言えない緊張感だったが、のびのびとやることができた。すごい発汗であったが、無事礼をして終える。2011年12月からはじめて、級なしだったのが、飛び級して4級を頂いた。これからも精進してお稽古したい。本当に不思議なもので、やればやるほど合気道というものが好きになる。もっと上手になりたい。

 夜は、近所に越してきた先輩宅で祝杯を挙げる。楽しくわいわいゲームをする。早目に帰宅し、原稿を書き上げる。WBCは、どうにか逆転勝ちで初戦を白星発進する。

3月1日(金)
 午前中、メールなどの雑務と電話対応。あれこれと不確定事項を決めていく。昼、恵比寿で打ち合わせ1本。

 午後、HOUSE VISIONのオープニングへ。原さんと隈さんの記者会見を聴き、内覧する。住宅展示場のかかえる閉鎖感を破る、家のあり方についての意欲的な試み。難波先生や小林恵吾に会って、近況報告。夜の新幹線で神戸へ。車中、原稿を書き進めたり、読書したりする。

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