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『EVERYDAY NOTES』

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『OPENNING NOTE』

 
 

EVERYDAY NOTES - archive - 2009 july

7月31日(金)
 東京の空をグレーな雲が覆い、秋のように涼しい。気まぐれな空模様が続く。久しぶりにスイッチが入って、銅板に向かって集中的に線を彫る。BGMは、アリシア・キースとフェニックス。気分転換に雑読。そろそろエンジンもかかってきたので、写真家のドローイング・シリーズも進めてみよう。アイディアは時に寝ることで熟成する。

 『ヒマラヤ聖者の超シンプルなさとり方』(相川圭子、徳間書店、2009)を読み終わる。前からヨガには興味があって、友人の紹介でこの方のことを知り、最新本を購入した。インドで最高峰の修行サマディを成し遂げた日本人女性が優しい言葉でさとりの体系について色々と語っており、シンプルな言葉の裏に体験者ならではの圧倒的な強度と説得力があり考えさせられた。近く時間を見つけてヨガを実際に習ってみたい。心を無心にすること「からっぽ」の難しさと「あげる」ことの大切さについて本質的にこの本は多くを教えてくれた。

7月30日(木)
 雲は、飛行機に乗るとそのフワフワ感を間近で観察したり、大地に大きな影を落としながらゆっくり動いていることなどを通してその存在の不思議さについてよく考える。ただ単に水蒸気の塊のはずが、一つとして同じ形のない美しさ。変化し続ける美しさ。夏の暑さを一時でも忘れさせてくれる時間。そんな夏の雲の写真日記。

7月29日(水)
 いつものように自転車で行動を続けているが、こうして真夏日が続くと走っていて風があってもどうにもこうにも汗をかく。毎日数回シャワーを浴びる生活になりそうだ。ドイツから帰国している友人と再会して色々と話していると、ベルリンのカフェで話していたのを思い出す。確実なのは、時間が進んでいるということだけか。自分の周りの友人・知人を通してのみ自分の活動や思考が相対化できるのもまた事実で、こうした刺激を与え合える時間を大切にしたい。

 「『シティ・オブ・メン』(監督:パウロ・リンス、2008)の観賞メモ」

 『シティ・オブ・ゴッド』を観て以来、続編的な映画があるというので気になっていたがやっと観ることができた。前作との直接的な繋がりはないが、ブラジル社会の闇に光を当てていてやはり衝撃的。前作を観ているので、度肝を抜かれるほどの衝撃はないが、個々の物語の背景にある小さなストーリーがきめ細かく描かれていてずっしり重い。社会の貧困が引き起こす負の連鎖は悪循環を繰り返し、そのシステムから抜け出すことでわずかな希望の光が見えるのだろう。

7月28日(火)
 久しぶりにNIDショップに顔を出す。レイアウトも毎回変わっていて楽しそうに使われているので嬉しい。よく売れているとのことでこれまた喜ばしい。続けてギャラリー「ときの忘れもの」と「ギャラリー間」を観て周る。カンポ・バエザの建築は、コンクリートのミースなのは、「less is more」ではなく「light is more」というインタビュー発言からも分かるが、展示を観ていて終始ポルトガルのシザについて考えていた。スペインとポルトガルにある違いについて。夜は、雑読。いろんな本が読みかけになっているのでしっかり読み終えていかなければ。

7月27日(月)
 「『夏至』(監督:トラン・アン・ユン、2000)の観賞メモ」

 少し前についに村上春樹の『ノルウェーの森』が映画化されるという話を聞いて、ユン監督のことを知った。気になっていたので早速観てみたら、とてもスローで独特の映像センスにしっかりとした個性を感じる。カーワイ監督ほど癖はないが、どことなくアジア的。三姉妹の話だが、ストーリーは不条理と対面する心境をそれぞれに抱えながら生きていく様を描いている。やはり女性の芯が強くて男性が少し頼りない。登場人物の描写や色彩感覚、観ていてこの監督ならきっと村上文学を美しい映画に仕上げてくれると思った。もう一人のムラカミ、村上龍の小説をドイツのヴェンダーズが映画化する話はしばしストップしているとのこと。この両ムラカミ作品が外国人映画監督によって映像化されるのが楽しみだ。

7月26日(日)
 どっしり空気が重くなるような湿った暑さ。ロンドンから一時帰国している友人と一年ぶりに会ってビールを飲む。夏のビールは格別。

 子供の頃から大好きだったリッキー・ヘンダーソン選手がメジャーリーグの殿堂入りしたニュースを知る。盗塁王として最高のリードオフマン。彼を見て野球が好きになったので何だか懐かしくて嬉しい。

7月25日(土)
 蒸し暑い真夏日。久しぶりに澄んだ綺麗な青空が姿を現す。夜、隅田川には花火が上がったのだろう。街には浴衣姿の女性が多くいた。夏らしい美しい日本の風景。

 今朝の新聞にベルリン・フィルのコンマスに内定した樫本大進さんの記事がありスクラップする。このニュースは知っていたが、写真付きで文章を読んでいたらベルリンに住んでいた時に知り合った多くの日本人音楽家の友人たちを思い出した。安永さんの素晴らしいキャリアをこうして自分と同い歳の方が引き継いだということに感動する。いつかまたフィルハーモニーを訪れたら樫本さんの音楽に逢えるだろう。楽しみだ。

7月24日(金)
 今年二度目の梅雨入りですっきりしない空模様。でも雨の匂いと音がわりと好きで窓を開けて静かな時間を過ごす。あっという間に今月も残り一週間。

「『everyday notes』についての断片メモ①」

 こうして日々のメモを公開している意味について。まだ日々わずか百人強のヒット数だが特別な波もなく、サイト立ち上げ9ヶ月でコンスタントに増えている。もちろん個々人を把握することはできないが、これも現代社会において一つのコミュニケーションなのだろう。銅版画についての質問やインターンの申し込み、知人や先輩からの連絡など何らかのリアクションも少なからずあるので、完全な一方通行ではない。しかし、もっと情報発信力をつける努力をしないと社会性がもてないだろう。その目安の一つがヒット数なので見守っていきたい。これは、自分にとっての記録という側面もあるので継続したいがもっと色んな表現を試してみたい。引き続き断片メモや読書・映画・芝居・展覧会の感想を軸に進めてみよう。石山さんも世田谷日記で書いていたが、こういうのはある種の癖みたいなもので文章を書く体力とスピードのためのトレーニングでもあるから継続したい。

7月23日(木)
 「銅版画についての断片メモ①」

 銅版画を始めて間もないが、今まで鉛筆やペンを紙の上で走らせていたのに対して、鋭く尖った針を硬い銅版の上を走らせるのとでは全く意味合いが違う。線に新しい幅が生まれて、画像として立ち上がるドローイングに新しい発見が生まれる。それは、描いてる本人にも分からない部分があり、だからこそ難しくて面白い。創造することは、何よりこうした自由さが前提にないと枠にはまったつまらないものになりがちなので、この新鮮な感覚を維持して建築や都市についての思考をしっかりと表現していきたい。先は長いが、具体的なアクションを通してのみ前進できるはず。継続は力なり。このサイトの「ページ」でもそうだが、多くの人に見てもらえるように作品に確かな情報発信力を付けて発表したい。

7月22日(水)
 あいにくの空模様で東京では部分日食は見られず。偉大な自然の力。北京五輪の開幕式に雨雲を吹き飛ばすロケット弾を中国政府が撃っていたのを思い出す。上海も雨で皆既日食は見られなかったとのこと。次は、26年後。ゆっくり待つのもまたロマンか。でも日々の生活には日食のほかにも沢山の自然の魅力があるはずだから、しっかり目を凝らしたい。

 「プロジェクト30についての断片メモ⑧」

 今日は、東大からザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツにインターンに来たIくんから「プロジェクト30」の「しおり」が届く。帰国してもなかなか会えないが、彼の修士論文を下に『ユリイカ:レム・コールハース特集』に論文を書いていたりと頑張っているようで何より。一緒にポルトのコンペをやったのが懐かしい。累計74枚。

7月21日(火)
 「ベネチアのお土産メモ②」

 フォルコラの美しさは、その彫刻的な美しさではなく、それらの形に含まれる機能によって支えられた美しさにある。そもそも二つとして同じ形をした「フォルコラ」がないように、それぞれのオールの癖や特徴によって微妙な変化をつけている。この不思議な形をした木製の物体には、パウロの説明だと7,8通りのこぎ方はできるとのこと。つまり左右に旋廻する時は、フォルコラのこの部分にオールを当てて、まっすぐ直進する時はまた別の箇所にオールを当てるといった具合に。そういう説明を受けてると、第一印象で感じた美しさに更なる強度が生まれ、僕もいつか「フォルコラ」のような建築空間が作ってみたいと思ったのでその気持ちを忘れないためにもこうして事務所のデスクに置いている。

7月20日(月)
 ついに今日、22年かけて宇宙に「きぼう」が完成したとニュースで知る。これが大きな夢のための小さな一歩であると思うと本当にたくさんの人に希望を与えるのだろう。

 「ベネチアのお土産メモ①」

 何度言ってもベネチアという都市は魅力的な発見を旅人に与える。僕にとって忘れられないのが「フォルコラ」との出逢い。確かベルリンに住み始めて最初の旅がベネチア・ビエンナーレを見るために再訪したベネチアだった。その時に多くのゴンドラが街の運河を行き来しているのを眺めていたら、そのゴンドラの形が左右非対称なことに気がついた。更にどのゴンドラにも不思議な物体がついていることに気がついた。それが「フォルコラ」だ。ゴンドラも船だからもちろん進めるためにオールを使うのだが、その軸となる部分である。あまりの美しさに虜になってしまい、気さくなゴンドラ乗りのおじさんに話しかけて製作工房まで教えてもらった。木の香りがする工房でパウロという青年が一人で働いていた。小さな工房でたくさんのフォルコラを修復したり、製作している。僕は、工房を案内してもらい、スケッチまでさせてもらった。次の日、やはり忘れられなくなって再度パウロの工房に行って、フォルコラを一つ購入した。未だ最高のお土産の一つである。

7月19日(日)
 カメラ片手に散歩で見つけた不思議な物体。雑多な都市の構造を探す。写真日記。

7月18日(土)
 東京もすっかり夏模様。都市の中のわずかな緑もたっぷり太陽の光を浴びていきいきしている。写真日記。

7月17日(金)
「全英オープン断片メモ②」

 ゴルフの不思議。どこの国で生まれ育とうと実力さえあれば17歳の高校生と還暦近い59歳のベテラン選手が一緒に戦うスポーツはゴルフしかないだろう。そして、自然の中で小さなボールを遠くに正確に飛ばすというシンプルなゲームなのだが、動かないコース自体を熟知して、変化し続ける風や光といった自然を考えてプレーする。全く同じ18ホールを4日間連続して周るのだがこれらの条件が変わり続けるのでコンスタントにスコアを維持するのは難しい。2アンダーの初日のスコアで誰もが石川遼選手の予選突破を確信したはずだ。しかし、二日目後半戦の9ホールでまさかの大失速。前日と同じコースなのにどうして。雨が降り、風も吹きあれた。彼にはまるで違った風景だっただろう。一緒に周った世界ナンバー1プレイヤーのタイガー・ウッズもキャリア14回目にして全英オープン初めての予選落ち。こういうことがあるからゴルフというスポーツは不思議で、難しく、とっても面白い。

7月16日(木)
「全英オープン断片メモ①」

 深夜、全英オープン・ゴルフの映像が生中継されていた。つい3ヶ月前、マスターズに初挑戦した石川遼選手がまるで別人のように自信に満ちて立派なゴルフをプレーしていた。画面越しにも緊張感が伝わってきて、一緒にラウンドしたタイガー・ウッズと肩並べて引けを取らない姿に多くの日本人はこの四日間ばかりは寝不足になってしまうだろう。18ホール終わって彼は「夢のようなプレーだった」と答えていたのが印象的。ずっと見ていたら、灯台のある綺麗なゴルフ場もそうだけど、スコットランドの空に浮かぶ雲は、ターナーの絵画にでも出てくるような美しさであった。

7月15日(水)
 気がついたら東京も梅雨明け。すっかり綺麗な青空が広がっている。新聞は、政治の記事ばかり。朝日の夕刊に三宅一生さんが自身の原爆体験をニューヨーク・タイムズに寄稿してオバマ大統領に広島を訪れるように呼びかけたとのことを知る。こうした情報発信力のある人の考え方に魅力を感じる。夜は、生暖かい風も少しばかり涼しくなり、何だか風鈴の音が半月の光にはよく似合う。七月もあっという間に折り返し。

7月14日(火)
プロジェクト30についての断片メモ⑦」

 今日は、ニュージャージーに住み両親から「プロジェクト30」の「しおり」が届く。誰に何番のしおりをプレゼントするかはランダムなのだが、「001」番は、一番の感謝の気持ちを込めて両親と決めていた。そして「130」番は、家族の要として弟に送った。その一番目のしおりは、実に多彩に塗られていて、可愛らしい小さな星のシールが散りばめられていた。父がカラーリングをして、母がステッカーとラメを担当したらしい。二人の意外な側面を発見できたようで、なぜか唐突に、母がキルトなどをやっていたことを思い出した。とにかく楽しんでもらえたようで何より。累計73枚。

7月13日(月)
 梅雨は何処へ。30度を超える真夏日。湿った空気は、気体と液体の中間というかものすごく存在感がある。快晴ではないが、雨雲もなく地面に落ちる影も表情豊か。写真日記。

7月12日(日)
 「『1Q84』BOOK1(村上春樹、新潮社、2009)の読書メモ①」

 青豆と天吾という男女の主人公の話を交互に展開する話題の最新作。一日二章ずつというペースで大切に味わうように読んでいたら一冊目を読み終わるのにこんなに時間がかかってしまった。でもゆっくり読むと登場人物の声に含まれた村上春樹の声がしっかりと見えてきて面白い。今回の作品は、『アンダーグラウンド』の長いあとがきに書かれたことを小説という方法で実行している感じがした。要するにこれを書かずにはいられない自身の中に芽生えた本質的な部分に正直に向きあって書いた作品ということ。

 BOOK2に差し掛かったので、マラソンでいう折り返し地点になるわけだが、今回の作品は、ストーリーが大きな波を立てることなく比較的スムーズに展開している。しかし、その節々に確かなメッセージが散りばめられていて面白い。小説としては、これから二人の世界がどのように交錯していくかが楽しみだ。

 ここでふとこの本がある種のブームを起こしていることについて考えたい。出版社側の情報の公開方法や戦略については分からないが、この本に登場するクラシックのCDや外国文学の本が同時に売れているという現象がすごい。情報過多な現代においてみんな自分の信頼できる情報を探している。そこで「村上さんが書くのなら」ということを絶対的な道標としているからではないだろうか。これだけのマジョリティーの共感を得ることができる背景には彼が稀有な存在であり良質な物語を提供し続けているからだけではない何かがあるのだろう。

7月11日(土)
 久方ぶりに横浜に行く。桜木町から赤レンガ倉庫まで歩きながら横浜の風景を観察する。海の香りがほのかにして、港町ならではの町の雰囲気もどこか異国を思わせる。しかし、あのビル群のシルエットに落胆してしまうのは気のせいか。都市のスケールやバランスがしっくりこないのは何故だろうと考える。いろんな建築が林立する中で愛着のようなものを生み出すのは一体なんだろうか。でもあの都市風景が現代の我々の鏡であるのもきっと事実だろう。建築家の責任も重い。

「『横浜発-鏡像』の鑑賞メモ」

 ベルリンに住んでいて多くの出逢いがあった中で、川口ゆい(ダンサー)と多和田葉子(小説家)、高瀬アキ(ジャズ・ピアニスト)との出逢いは特別なものであった。彼女たちの活動は全く分野の異なる、表現方法も違うものである。しかし、今日、こうして一緒の舞台で彼女たちの表現するものを一緒に観られて大いに刺激を受けた。アキさんのピアノに合わせてゆいさんが踊り、多和田さんの言葉に音楽が連鎖反応する。更にはルイ・スクラヴィスさんのバスクラリネットがそれぞれパズルのピースになって一つの世界を作り上げる。これは、この四人にしかできないオリジナルのものであり、ジャズの即興的要素も加わって観る者を引き込ませる。

 タイトルの『鏡像』は、きっとみんなの表現を鏡の世界に置き換えると、同じ表現が全く違ったモノに見える面白さによるのだろう。音楽で何かを伝える、言葉で何か表現する、体でメッセージを発信することは、そのアクションに対する個々人のリアクションが生まれて視覚的に、聴覚的に訴えると共に思考を刺激する。多和田葉子×高瀬アキのパフォーマンスは何度か観たが、こうして四人になっても十二分にその魅力は発揮されていたのを知る。何より、二人でやる時にあるドイツ語や言葉遊びの知的ゲームが更に自由に展開されていて面白かった。ゆいさんのダンスはより空間をつくり、ベースクラリネットは、どこか男性的な(むろん奏者が唯一の男性であるのだが)音楽を奏でて舞台に幅を持たせる。

 この四人のパフォーマンスは、こうして「横浜開港150周年記念」というテーマにも柔軟に対応できるから強い。その「自由さ」が前提に共有されているからこそ、こうして分野を超える才能のぶつかり合いが不思議な世界を作り出す。観たことのない、予期せぬ展開にオリジナルなモノを感じ、観る者を魅了する。例えばクライマックスの糸を引いて鳴らすピアノの弦は、汽笛を思わせて圧巻だった。

 こうして何かを表現することの楽しさを観ることで観客は、それぞれの心の鏡にきっと何かしらの「像」が立ち上がり、それを宿題にしてまた考えを巡らせるのだろう。個人的に三人と知り合いであることよりも、本質的に舞台の上で行われた彼女たちの挑戦に確かな共感と感謝の気持ちを込めて拍手を送りたい。

 最後に、今日の舞台の背景の穴開きレンガを見て、ふと大学院生の時にこの全く同じ舞台で大野一雄さんの舞踏を見たことを思い出す。車椅子に座りながらも、スポットライト一つで動き続けていた感動が鮮明に復活する。7年ぶりのフラッシュ・バック。映像というものは、記憶のどこかにちゃんと蓄積されていて、きっとあるボタンを押すと甦ってくることに驚いた。

7月10日(金)
 ひょんなことから先日「活動休止宣言」をしたばかりのウルフルズのフリーライブに足を止める。去年のサザンに続いてまた大きなバンドが姿を消す。21年間の活動に一休みとのこと。初めてのウルフルズであったが、関西弁のMCも親近感がありトータス松本はかっこよかった。何より彼らの爽快な音楽が蒸し暑い梅雨の重たい空気をスカッと吹き飛ばしてくれた。やはり、ライブには思いもよらない力がある。「それだけで、ええねん」「お金より、見た目より、車より、心意気」「悲しければ泣けばいい、また笑えるように」シンプルな歌詞が心に染みる。いつかぜひユニコーンみたいに盛大に復活してほしい。

7月9日(木)
 相変わらずの蒸し暑さが続き身体が重い。録画しておいたNHKのエジプト特番を見る。ピラミッドの建設方法の謎に迫るもので、すごく面白かった。内部トンネルやエレベーターのように吊り構造をいかして60トンもの石を運んだという。もちろん完全な正解は分からないのだがかなり近いところまで来ているのではないだろうか。考古学のロマンは深い。ピラミッドは映像で観てもすごいのに、実物を観たらどう感じるのだろうか。一度は本物を観てみたいものだ。

7月8日(水)
 梅雨の中休み。すっかり夏のような蒸し暑さ。あのじりじりとした日本の夏も、もうすぐそこか。汗だくになって西瓜を食べたい。

 「プロジェクト30についての断片メモ⑥」

 今日は二通の「プロジェクト30」の返信があった。不思議なもので、二人ともお互い同士を知らない友人たちだが、共に僕の絵を買ってくれたという共通点がある。ベルリンで知り合ったダンサーの友人は、僕の「connected borders」の個展に来てくれた際、「買いたい!私の親にプレゼントしたい」って言ってくれた。僕は帰国して額装したドローイングを彼女の実家に送った。すぐにご両親から素敵な礼状が届いた。こうして喜んでもらえるのが一番嬉しい。「しおり」は、ビーズや糸を使って可愛らしく塗られていた。もう一人は、昨年ベルリンより帰国して大学時代の友人を通して知り合ったIT社長。同世代で、とても刺激になる存在。彼にも銅版画を買ってもらったので、近く準備せねば。彼も力強い配色で「しおり」を仕上げてくれていた。二人ともありがとう。累計72枚。

7月7日(火)
 七夕。今日もえらく明るい月。満月ではなくて、若干左側が欠けているのが美しい。上品な光に誘われて夜風を楽しむ。写真日記。

7月6日(月)
 今日は、びっくりするほどの満月。太陽の光がこれだけの距離を跳ね返ってくるとこういう光になるのがすごく新鮮に思えて見入ってしまうほどのアカリ。二週間ほどすると、この月もわれわれの地球と太陽の間を通る皆既日食らしい。昼間が5分ばかり夜になる。楽しみたい。

「『時をかける少女』(監督:細田守、2006)の観賞メモ」

 宮崎、押井、大友の三大巨匠のアニメーション以外を観る機会がなかったが友人の紹介で手にしたこの作品。タイトルからも分かるようにテーマは時間の移動。しかし、われわれがもしこのような技術を手に入れたらもちろん多くの矛盾を抱え込むのだが、そういうことを度外視して考えてみるに、やはり「一期一会」の大切さを再認識させられる。時間だけは誰にも平等に与えられる。一日24時間。それをどのように使うか。映画では結局主人公のマコトがタイムスリップを通して自身の心の声を聞き取ることになり、本当の大切さを発見していく。

 自分も含め、多くの人が何かと記念日を設定したがるのもきっとそうした大切な「時間」を少しでも記憶の山に放り投げるだけではない手段として考えられる。でもこうした個別の「時間」というのは、ときに自分の生きた証となり大きな支えとなってくれる。それを少しでも本質的に積み重ねていくことこそが幸福への道だと信じたい。数字のように大小があり、比べることのできないのがこうした個々人のもつ「時間」であり、だからこそ自分の価値観でしっかりとみつけていきたい。正解がないのだから。そんなことを映画を観ながら考えた。

7月5日(日)
 今週もあっという間に過ぎてゆく。昨日、新聞で『スタジオ・ヴォイス』の休刊というニュースを知る。インターネットが発達し、人は雑誌を買わなくなってしまったのだろう。すごく好きな雑誌だっただけにショックは大きい。CDを買わなくなった音楽業界、本や雑誌買わなくなった出版業界、生活のスタイルの変化にどう対応するか問われているのはきっとどの分野も同じなのだろう。

 深夜、ウィンブルドン・テニス決勝戦がやっていてロディック対フェデラーの熱戦を観る。両選手の集中力とハイレベルなテニスに観入ってしまう。グランドスラム歴代保持者のサンプラスの前で負けてしまったロディックが試合後「sorry, Pete.」と言っていたのが印象的。

7月4日(土)
「『春、忍び難きを』(作:斎藤憐、演出:佐藤信)の鑑賞メモ」

 俳優座でとても面白い芝居を観た。舞台は戦後間もない日本。三人息子のいる家族の話。3時間の大作であり、見終わると母親や父親の姉、次男の嫁、長男の嫁という四人の女性の姿が深く印象に残る。四人は、それぞれに立派に農業を営みながら生活して家を守り、不条理な社会に対して自分の軸が全くぶれない。対する男性人、父親、長男、三男、先生は自分の信念を持って不条理と戦っているのだが、もしくは戦っているつもりなのだがどこか歯車が合わない。ばらばらの価値観たち。それをも女性人は受け入れる寛大さと豊かさがあるように見えた。いつの時代も女性が強く社会を支えていることを実感した。

 戦争というのは得てして戦場の爆撃などがフォーカスされ、残された者の生活というものを知ることはなかなかない。しかし、戦争の引き起こす不条理は終わりのない状態で続くのだ。それをわずかなりにもこの舞台を通して垣間見ることができてすごく刺激になった。わずか60年前にあのような生活がこの国にあったこと、そしてそのような生活の積み重ねが今の社会になっているということを実感した。グローバリゼーションの現代にも通じるものが確実にそこにあった。もちろん失われたものも。満席の多くが高齢者の方々であったが、僕らの世代こそもっとこういう舞台を見なければならないのでは。

7月3日(金)
 今日もじめじめした梅雨空。窓から優しい雨の音が響く。夕方、白井版画工房でみっちり仕事。最近新しく彫った小作を試し刷りして、前回のアクアチントを施した銅版を2パターン刷る。自分の創作と工房でのペースやリズムも分かってきたのでしっかりと継続したい。そろそろ、正式に発表できる場をみつけるために動き出さないと。何事も実行するには、エネルギーと時間がかかる。でも一番大事なのは、確かな情熱かも。

7月2日(木)
「『万華鏡の視覚』展についての鑑賞メモ」

 久しぶりに森美術館に行く。52階からのエントランスが角になっているため、エスカレーターから見て「M」の切り込みになっているのに気がつく。これもデザインか。

 『万華鏡の視覚』と題して、多種多様な作品が展示されていた。ハンス・シャブスのベネチア・ビエンナーレ出展作品が印象に残る。パヴィリオンという考えを大きく拡張する試みに共感する。ロス・カルピンテロスの『凍結した惨事の習作』やオラファー・エリアソンの『投影される君の歓迎』も時間をテーマにしたものでゆっくりと眺めながら考える。見る角度によって物事はまるで違ったものに見える。テーマが大きいために全体としての印象は薄いが個々の作品は、大作が多かったように思う。

7月1日(水)
 出かける時は晴れていて自転車に乗るも、帰宅時にはすっかり雨。濡れた体をシャワーで暖める。静かな夜に雨の音をBGMに『1Q84』を読む。梅雨という季節の日常。

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