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『EVERYDAY NOTES』

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『OPENNING NOTE』

 
 

EVERYDAY NOTES - archive - 2009 june

6月30日(火)
 今日という一日は、きっと忘れないだろう。2009年という年の折り返しとしてではなく、あの偉大な振付家、ピナ・バウシュが亡くなった日として永遠に心に刻まれるだろう。すごくショックであり、深い悲しみに包まれている。彼女は、彼女にしかできないことをやり続けた人だったから。心よりご冥福を祈りたい。

 わずか四日前に同じ書き出しでeveryday notesを書き始めていることに気づく。マイケルに続いて、ピナもこの世を去ってしまった。降り続く梅雨の雨が世界の涙に思えてならない。

 「ピナ・バウシュについての断片メモ①」

 今、必死になってヘンリー・パーセルのCDをみつけてかけている。この曲は、僕が初めてピナ・バウシュを知ることとなった映画『トーク・トゥー・ハー』(監督:ペドロ・アルモドバル、2002)の中で踊っている『カフェ・ミュラー』の音楽。あまりに衝撃的で彼女の作品をその後ベルリンでもブリュッセルでも観たりして、昨年の東京公演も2作品を観させてもらった。どれだけ素晴らしいかって言葉ではなかなか伝えるのは難しいが、今でもその時々の映像や空間がはっきりと脳裏に焼きついているといったところか。

 才能豊かな人は沢山いる。でも本当にあらゆるボーダーを越えて自由に創作し、他にインスピレーションを与え続けられる人はそんなにいない。ピナ・バウシュという才能は、絶対に誰にも穴埋めできない最高級のものであると確信する。体を使って表現するダンスという枠を超えて、あらゆる人に感動を与えてきた。舞台の上でピナが白いワンピース姿で舞っているのを見たとき、自分の体から何かがあふれ出てきた。それが何だったのかは分からない。しかし、その華麗な踊りを目で見て、体で感じて、彼女から僕に何かが確実に伝わったのだ。

 いつものパソコン画面に「ピナ・バウシュ死去」という文字を目にした瞬間、グサっと何かが刺さった気がした。嘘だと思いたかった。つい先日、次の日本公演のスケジュールが発表されたばかりだったのに。いつまでもピナの作品が見たかった。どこかでいつでも見られると思っていた。しかし、当然永遠なんてない。死は生のすぐとなりにあり、それは世界中の誰にとっても同じである。悲しすぎる。この心の空白。でも、残された者たちは、彼女が与え続けてくれたものに対する恩返しをしなければならないのだろう。そうして文化は伝承され、発展する。最高峰の水準を体験して、自分も奮起する。そうありたい。その水準を知ると妥協の許されない厳しさに対して恐ろしくなることもある。そんな最高のインスピレーションをピナ・バウシュという人間は我々に与え続けてきた。今まで本当にありがとう。そして、天国でも華麗に踊り続けてほしい。このような才能にめぐり合えたこと、一時でも同じ空間を共有できた幸せを絶対に忘れない。時間は、止まってくれないのだから。

6月29日(月)
 今月頭にお世話になったローマに住む友人夫妻から小包が届く。プレゼントした村上春樹の訳本のお礼に『ゴモラ』(監督:マテオ・ガローネ、2008)のDVDが入っていた。英語の字幕がないのは問題だが、イタリア・マフィアの正体を暴いた問題作、見てみよう。午前中、小ドローイングを二点進めて、スタン・ゲッツをBGMに銅版も彫る。いよいよ今月も残すところ一日。2009年も後半戦。

「プロジェクト30についての断片メモ⑤」

 今日は、二通の「プロジェクト30」返信用封筒が届く。アテネとポルトからこれまた素敵な「しおり」たちが届く。力強い色使いで水彩のものとクレヨンを使った点画風に仕上げられていた。アテネに完成したばかりのチュミ設計、パルテノン美術館の絵葉書も入っていた。海外からの返信率が高い。累計70枚。そういえば、この二人にも旅のお礼にギリシャ語の『ノルウェーの森』とポルトガル語の『スプートニクの恋人』をプレゼントしたのを思い出す。

6月28日(日)
 ここ数日、街には雨傘から一気に日傘が目立っていたが、今日はまた雨傘の必要な一日となった。水色と黄色のレインコートを着た子供が近所で遊んでいた。

「マンガ美術館についての断片メモ①」

 今朝の朝日新聞朝刊にマンガ家の浦沢直樹さんが117億円の建設予算が下りたマンガ美術館について苦言を呈していた。マンガというのは、アメリカのコミックとは全く違い日本独自の文化・芸術として発展したものなので、多岐に渡る内容も決して一まとまりにできるものではなく、それをどのようにして線引きするかに疑問を感じ、「国のお墨付きのマンガなんて非常に気持ち悪い」と言い切っている。今のマンガ界を第一線で引っ張っていく彼は「あらゆるマンガを100%等価に扱ってほしい」という。

 僕も全くその通りだと思う。しかし、単なる「ハコモノ」として何もない状態からの批判には違和感を覚える。魅力的な建築には、ハードとソフトの両側面から充実した内容を持つことで愛される建築は生まれる。ベルリンにあるフィルハーモニーホールも建築としての魅力はもちろんだが、その中で奏でられるオーケストラの豊かな音楽があるからこそ市民に愛される名建築となっている。このまだ見ぬ「マンガ美術館」もハードとしての魅力を兼ね備え、展示内容やメディアセンターとしての機能のあり方、既存の他のマンガ施設との連携、新しい才能の発掘など充実したソフトが同時に築き上げられれば決して単なる「ハコモノ」ではない素晴らしい建築が生まれる可能性を感じてやまない。

6月27日(土)
 「松本サリン事件についての断片メモ」

 15年前の今日、8人もの死者と多くの負傷者を出した悲惨な松本サリン事件が起きた。人間とは本当に忘れやすい生き物であり、あの事件の真相を知って、教訓として今を生きている人はどれだけいるのだろうか。当時の映像を交えてドラマ化された番組を見た。

 僕は当時イギリス・マンチェスターにある中学校に通う3年生だったが、丁度受験のために帰国した95年に阪神大震災とオウム真理教・地下鉄サリン事件が起きた。番組を通して被害者のご長男が自分と全く同い歳であることを知り、衝撃を受ける。一年近くもの期間、犯人扱いされた父親。言葉を発することができなくなってしまった母に対する14年間の看病と相互に行き交った無言の愛。あの日を境に多くのものを突然失ったにもかかわらず、家族が団結する姿。そして、10年の実刑に服して出所した加害者と被害者である父親との交流。

 人間の本当の強さや幸福についていかに自分の考えが不自由であるかを反省する良質の材料であった。更には何事にも負けないでしっかりと生きていくことに対する勇気をもらったように思う。こっち側とあっち側という境界線はどこにも存在しない。こっち側の白も、あっち側の黒も、頭で勝手に作り上げているだけで、自分の足元はつねにグレーなのではないだろうか。そうすると大事なのは結局、人の気持ちになって想像力を働かせることからしか何も始まらないということではないか。

6月26日(金)
 今日という一日は、偉大なるスーパースター、マイケル・ジャクソンの逝った日として忘れられることはないだろう。元気のあるアメリカのポップカルチャーを牽引してきた彼の突然の訃報を聞いて世界中が悲しんだに違いない。

 ジャクソン5や「スリラー」は後になって知ったが、僕にとってはカナダのトロントにいた中学時代にリアルタイムでアルバム『Dangerous』に出合い、「Black or White」や「Heal the World」を幾度となく聴いたことが思い出される。中学校の美術の時間にマイケル・ジャクソンの雑誌の切抜きを拡大して描いたこともあったな。MJ繋がりということもあって、バスケの神様マイケル・ジョーダンとの「Jam」という曲でのPVもかっこよかった。金銭トラブルや性的虐待疑惑など決して一筋縄にはいかない人生を送ったマイケル・ジャクソン。彼の素晴らしい音楽と映像がプレスリーやビートルズのように後世にしっかりと受け継がれることを信じたい。心よりご冥福を祈る。

6月25日(木)
  久しぶりに晴れたと思って自転車でまた動いていたら汗だくになる。早くも着替えを持参して自転車に乗らないといけなくなった季節。夕方、白井版画工房へ。アクアチント作業で時間切れ。来週、試し刷りが楽しみだ。それまでに新作も完成させたい。

 夜、5年ぶりくらいに屋島裕樹と会う。学生時代からの付き合いで、服飾デザイナーという枠を超えて今では舞台などの衣装デザイナーとしても活躍している。色々とアイディアを話し合い、これからもっとお互いに一緒に何かやりたいと思える大切な存在。学生時代に作ってもらったジャケットを着るには、幾分ダイエットをしないといけないのが情けない。頑張ってみよう。しかし、こうして同じバイブで熱く話せる仲間にどれだけ支えられているか。

「プロジェクト30についての断片メモ④」

 今日は、デンマークより素敵な切手の貼られたの「プロジェクト30」返信用封筒が届く。中には、黄色い画用紙に書かれた手紙と一緒に「しおり」が入っていた。実に丁寧に塗られていて、すごく楽しんでくれたことが分かる。ベルリン時代に僕が最後に担当したコンペのチームに参加してくれた彼女は、デンマークに戻って大学を卒業し今ではアーキテクトになったとのこと。僕のしおりは、彼女の読むスウェーデンの小説に挟まれてるらしい。最後に「いつか東京に行って130枚の二枚目のドローイングを見たい」と書いていた。累計68枚。

6月24日(水)
 朝からすっかり雨。電車の中には素敵な長靴を履いた女性が沢山いた。あのような長靴を持っていたら雨の日も楽しみになるだろう。午後からは雲も途切れて面白い色の空が見えた。東京の空は表情が豊かだ。グルスキーのドローイングに少し手を入れる。銅板の方にも線を彫るが、こちらはまだ終わりそうにないので、ゆっくり進めたい。何本かの連絡があり、新しいことが動かしだしそうだ。

6月23日(火)
 雲は残るものの、久しぶりに青空が見えたと思えば、東京は30度を越えた。全く極端な天気にすっかり振り回される。不思議な感じの梅雨模様。

 ピアニスト辻井伸行さんのデビューアルバムを購入。独特の深みのある演奏を大音量で聴きながら銅版に向かって線を彫る。自分の線は、作業している場所や心境、聴いてる音楽にすごく作用されることを敏感に感じる。夜、イタリアでの結婚式に行ったメンバーで丁度3週間ぶりに再会。ビデオ鑑賞会からはじまり、友人たちの誕生日や栄転祝いを兼ねて盛り上がった。

6月22日(月)
 服飾デザイナーとのコラボレーション打ち合わせ。僕のドローイングを見て、洋服をつくるための生地にしたいとのこと。こうしてボーダーを越えて新しいことに挑戦しているときは、次から次へとアイディアも生まれて面白い。これでこのプロジェクトも動き出した。具体的に発表できるようになったら公開したい。

 先週やっと買うことができた村上春樹の新刊『1Q84』をゆっくりと楽しみながら読んでいる。僕は、今まで村上春樹の小説を読みながら、不思議なシンクロ現象がいくつかある。例えば、アテネからサントリーニ島に向かうフェリーの上で『スプートニクの恋人』を読んでいたら、物語の中でもギリシャの島に向かってフェリーに乗ったりしていた。今回は、1984年が舞台で、主人公の二人は30歳。千ページを超える大作で、まだ読み始めたばかりだが、年齢が全く一緒なのでこれまたいつになく共感するところが多い作品である。今のところは。

6月21日(日)
 湿度をたっぷり含んだ空気は、いつもよりぐっと重くて存在感があった。空を覆った雲々は時たま雨を降らせて、今日が夏至という一年で一番日が長いということを隠してしまったかのようだ。今頃北欧では、白夜が続きお祭りなのだろう。

「『エディット・ピアフ 愛の賛歌』(監督:オリヴィエ・ダアン、2007)の鑑賞メモ」

 シャンソン歌手、エディット・ピアフの劇的な人生が幾度となくフラッシュバックしながら紹介されていた。先日のサガン同様、彼女が書かないと生きていかれなかったようにピアフは、歌わないと生きていかれなかったような壮絶な人生。若くして富を得たサガンに対して、売春宿で育ったピアフはサガンのように豪遊はしなかったようだが、愛する人との悲劇もあり、44歳という若さでこの世を去ってしまう。サガンとピアフ、更にはフリーダ・カーロなど小説家、歌手、画家とそれぞれの世界は全く異なるが、一流の女性芸術家には本質的に似たところがあるのではないだろうか。みな「孤独」に敏感で「愛」に溢れている。

6月20日(土)
 高校時代の同じ寮だった友人の結婚式の二次会に参加。10年ぶり以上の再会だが、何も変わっていなかった印象。写真や映像で見る新郎と新婦も幸せそのもので素敵だったが、何より最後に新郎が新婦に涙ながらに「これからもよろしくお願いします」と締めくくった手紙を読んでるのを見て感動した。おめでとう。

「プロジェクト30についての断片メモ③」

 今日、ドイツからまた「プロジェクト30」の「しおり」が届く。オーケストラのステージ・マネージャーという仕事をしている彼とは、ベルリンに住み始めてすぐからの付き合いで、ビールを飲みながら幾度となく一緒に音楽や建築の話をお互い語り合った。今では、ドイツと日本ということで離れ離れだが頑張っているようで何よりの励みになる。同年代だし、多くを共有してきたのでこれからもお互い良い刺激を与え合いながら頑張りたい。しっかりと絵の具で塗られており、空には雲が、そしてレンガの上にはベルリンにあるブランデンブルグ門の彫刻らしきが描き足されていて素晴らしい。累計67枚。

6月19日(金)
 雨が降らないというと、今度は極度に蒸し暑い。自転車に乗ってるとすぐに汗ばむ季節になった。

 「『愛する言葉』(岡本太郎・岡本敏子、イースト・プレス、2006)の読書メモ」

 渋谷駅に『明日の神話』という岡本太郎の大作が飾られるようになったのは去年だったか。渋谷に行くと人が多くてなかなか過ごしづらいのだが、あの絵の前だと少し立ち止まって時間をスローにしてくれる。

 この本には、二人の残した言葉がたっぷりの余白を持ってこっちに迫ってくる。どこかポエティックで柔らかい二人の言葉のキャッチボールからは、「芸術は爆発だ」といったようなあの強烈なエネルギーとは全く違う何かをその文章の余白から感じさせる。とてもシンプルでダイレクト。二人の関係性の中に、我々読者はすごく身近で共感するものを感じるのではないだいろうか。ブックデザインをした鈴木成一さんの仕事もさすが。

 「自由である、ということが男の魅力の前提条件だ。(岡本太郎)」
 「自分を大事にして、
  傷つけたくない、
  そう思うから不安になるんだよ。(岡本太郎)」
 「あるのはこの瞬間だけ。(岡本敏子)」
 「お互いに相手を引き出すの。
  自分だけでは「自分」にはなれないもの。(岡本敏子)」

6月18日(木)
 夕方、白井版画工房にて刷っていなかった版をプリント。紙を準備したりもしなくてはならず、3枚の小作が完成する。絶対的空白としての「窓」は、思い通りに仕上がった。当分、続けてみよう。

 「旅についての断片メモ②」

 一度の旅で三度の旅に出た気分になる。単純な話。一度目は、旅の準備。あれこれと頭の中でシュミレーションして、何があるか分からない旅先でのことで胸を躍らせる。二度目は、実際の旅。日常生活から離れて、新しい場所に出かけていく。三度目は、戻ってからの記憶の旅。帰路についた時から日記やデジカメを見たりして、自身の旅を再度頭の中で巡らせる。

 こうして多くの旅に出て、スケッチしたりして時間を記録していこうとすると、同じ場所に出かけても全く違った反応をする自分に驚くことがある。高校時代に読んだ小説を今、読むと全く違った読み方をするように。その時差についてまた考えたりする。

●2004年11月4日 ベネチア、アルセナーレの橋より

●2009年6月1日 ベネチア、アルセナーレの橋より

6月17日(水)
 久しぶりに銅板に向かう時間をみつけるも、思うように線が彫れず中断。波をみつけてしっかり乗った状態じゃないと意味がないので明日は、工房で新作ではなくて貯まってる板のアクアチント作業に集中しよう。あと、先日知り合った服飾デザイナーと打ち合わせ。僕のサイトのドローイングを見て連絡して来てくれた。一緒に何かできるかもしれない。こうした枠を超えたコラボレーションを実現したい。夜、日本×オーストラリアの試合を見るも三年前のW杯の再現のごとく鮮やかな逆転負け。この一年で飛躍的に個人のレベルが上がり、スピーディーなパスサッカーと硬いディフェンスのできるチームになってほしい。

「プロジェクト30についての断片メモ②」

 アメリカ時代の幼馴染から「プロジェクト30」の「しおり」が届く。名古屋でアナウンサーとして活躍する彼とは久しく会えていないが、頑張っているようで嬉しい。今では二児の父でもあるので、いつかの再会を今から楽しみにしている。忙しい中、水彩で「しおり」を綺麗に仕上げてくれていて、いよいよ二枚目のドローイングも『ケンチクの木』らしきものが立ち上がってきている。これで丁度二ヶ月にして累計65枚。半数が返信された。完成が実に楽しみだ。

6月16日(火)
 今日もぐずぐずした空模様。でも雨が降ると道端の緑がすごく元気ある濃い緑色になっているのを傘越しに見るとそれだけで何だか優しい心持ちになる。6月もあっという間に折り返し。

 「『サガン』(監督:デイアーヌ・キュリス、2008)の鑑賞メモ」

 ベルリンのクロイツベルグ地区にあるポルトガルの巨匠アルヴァロ・シザが設計した曲線的な平面をもつアパートの壁に刻まれた「悲しみよ、こんにちは」を見て初めて僕はサガンを知った。しかし、依然彼女の文学に触れることができていない。この映画を観て彼女の本を手にとってみたいと更に思った。

 この映画には金と名声を若くして手に入れた女流作家の壮絶な人生が描かれている。つねに彼女の周りには沢山の友人や家族がいたが、心の奥にある「孤独」と向き合うことができないままでいた彼女はノートに向かってペンを走らせ続ける。書くことでしかその「孤独」から逃れられないかのように。そして、ギャンブルに酒とドラッグが彼女の人生を破滅に向かわせる。余りに壮絶な69年の生涯を二時間に凝縮したせいか、登場人物が多く、一人一人の描写はどうしても希薄になってしまうが、この映画は突き詰めると、幸福論について示唆を与えてくれた。

 人にとっての幸せは何なのか?この問いには正解はない。あるいは、すべての回答が正しいはずだから。なぜなら人それぞれが自分の価値観という物差しでしっかりと判断し、自身の幸福をみつけなければならないから。夢を追いかけるのも、何かを成し遂げるのも、ささやかな喜びも、感動を家族や友人、知人と共有するのもすべては自分次第なのではないだろうか。サガンは、あまりにも周りに沢山の人に囲まれていたからこそ皆に依存してしまい、本当の意味で「孤独」を克服することができなかったのではないだろうか。小説を訳本で読むのは苦手だが、近く彼女の本をぜひ手に取って実際のサガンの「声」を聞いてみたい。

6月15日(月)
 また新しい週のはじまり。巷ではおたまじゃくしや魚が空から降ってくるらしい。まるで小説の世界。やはりフィクションはノンフィクションを超えられないのか。夜の雨は、おたまじゃくしが泳げるようなくらいの雨だった。色々なものが雨と一緒に東京という都市に染み込んで流されていくようだ。

 「レム・コールハース特集(ユリイカ6月号)についての断片メモ①」

 磯崎新×浅田彰の巻頭対談『シニシズムとスノビズムのまで』を読んでから、続けて難波和彦+岩元真明による『「ヴォイドの戦略」の可能性』を読んで全く違った読み取り方を可能にするコールハースという建築家の多面性や過剰性にこそ彼の特徴があるのではないだろうか。

 前者の対談では、CCTVに的を絞って「とにかくブランドを作り、ロゴなりアイコンなりを決めてしまえば、それがグローバル資本主義の波に乗って広がり、事実上の価値になる」というようなことを語りながら都市におけるアイコンとしての建築を論じているのに対して、後者の論文は、「二一世紀の都市建築の傾向は、テーマ、極端さ、エゴ、浪費の倒錯的で無意味なオーバードーズとなっている」というコールハース自身の引用からスタートする。

 もちろん、前提となる都市がCCTVを設計した北京とジャネリック・シティーとしてのドバイに対する検証なだけに単純な比較はできないが、この北京とドバイにおけるコールハースの建築家としてのスタンスには、大きな隔たりがあるのは事実。しかし、彼の多面性や過剰性がそれをも矛盾として感じさせないだけの許容力をもち、組み立てられた論理が説得力を獲得するのだろうか。

6月14日(日)
 今日も近所の本屋さん二店舗に振られ、村上春樹の新刊にはたどり着けず。しかし、『ユルイカ』6月号、レム・コールハース特集をみつけて買った。相変わらず降ったり止んだりのすっきりしない天気が続く。嫌われがちな梅雨の季節だけど、何だか雨の音だったり、アスファルトの香り、更には雲の隙間からの晴れ間とかがあって結構好きなのかもしれない。自転車に乗れなくて不便だけど。

 「マイノリティーについての断片メモ②」

 ピアニスト辻井伸行さんのニュースがよくテレビで流れるのを見て、その快挙の大きさと彼の人間性の深さみたいなものに引き付けられる。少し前にも「楽譜」についてのことをメモしたが、新聞やネットで読む以外に今日はじめて彼の練習風景の映像を見た。恩師の横山さんとの練習風景。二台のピアノで言葉少なく、お互い鍵盤を叩くことで会話する。そこには、強烈な集中力が築き上げる独自のコミュニケーションがあったように映っていた。

 何かを遮断することで、ある部分が特化していく。そして、その映像を見ていて辻井さんが「暗譜」の大変さを語っていた時にはたと気づいた。そうか、多くのピアニストには絶対的拠り所としての「楽譜」が存在し、演奏中もそれを見ながら演奏するのに対して、辻井さんにはその選択枠が最初からない。先生との二人三脚で自分の耳を通して頭に独自の「楽譜」を徹底的に創り上げていく。そこには、五線もなければきっと音符もない、彼独自の「楽譜」が刻み込まれている。それだからこそ、音楽が体の一部となって指が鍵盤の上を華麗に動くのではないだろうか。

6月13日(土)
 イタリア旅行から帰ってきて1週間だが、自分が書いた絵葉書が今日自宅に届いた。一時帰国中の両親に宛てて奈良に送ったのだが、二人はもう米国に戻ってしまい、「転送先」のこっちに送られてきたようだ。旅に出ると比較的まめに絵葉書などを書くのだが、自分の書いたものを見る機会は今までなかったので何だか勝手に嬉しい気分になる。

 「プロジェクト30についての断片メモ①」

 このサイトにも公開しているが、誕生日のプロジェクトとして「プロジェクト30」を企画し、実行てもうすぐ2ヶ月が経つ。既に半数近い「しおり」が沢山の友人・知人から帰ってきた。今日もパリの友人からパステルカラーで塗られたものが届く。累計64枚。

 思えば、僕が学生時代に大野一雄舞踏研究所にインタビューに出かけていった際、そこで踊っていたフランス人のCと知り合った。その夏、欧州への一人旅でパリに立ち寄りCと再会すると、モンマルトル周辺を中心にいろいろと案内してもらった。その後もパリに行くといつも笑顔でCが出迎えてくれる。彼女は、フリーのジャーナリストとして働いているため色んなことに関心があり、バスク地方のことやパリのトレンドなどいつも話題が絶えない。綺麗な筆記体で書かれた英語の手紙を読みながら、Cのフランス語訛りの英語を思い出す。

 こうして返信されてきた「しおり」には一つ一つの個人的な思いが詰まっており、130人の皆とささやかながらコミュニケーションが交わされる。そして集まったパズルのピースは、ゆっくりと一枚の絵になっていく。自分の塗った「しおり」は皆の読む書籍の中に挟まれて、僕には自分の人間模様が垣間見える不思議なモザイク状のドローイングが刻々と完成する。何だか、外国人の返信率がとても高い。いずれ完成するのをじっくりと待っている。

6月12日(金)
 いよいよ自転車に乗っていても暑くてわずかな時間で汗が出る季節になってきた。日本には四季を感じさせる要素が多いことに今更ながら改めて驚く。そろそろ梅雨のスタートか。その先には夏がやってくる。

 「池田亮司 『+/-』展についての断片メモ」

 2001年の村上隆展以来、8年ぶりに東京都現代美術館に足を運んだ。映像と音の不思議なバランスで今までにない新しい体験をした。池田亮司のつくる映像は、もちろん視覚的にかっこいい。とてもドライでシャープな数字と線の羅列が猛烈なスピードでスクリーンの上を踊る。いや、スクリーンではなく美術館の白い壁の上を音と共に動き続ける。映像のスピードは変化し、われわれの感覚を揺さぶってくる。瞬きをしていないのに、まるで瞬きをしたかのような錯覚を起こすように映像が切り替わったりする。それは、もはや映像や音楽ということではなく、異次元の空間が立ち上がっていた。美術館とは思わせない黒じゅうたんを敷き詰めたのも見事だった。それにより空間は距離感をなくし広がりを持つ。美術館の展示室を全くの空洞として捉え、そのスペースのためだけに彼が仕掛けた行為は、われわれの感覚を通していろいろなことを連想させる。

 おびただしい数の数字が一つの情報として画面を縦横無尽に動くのを見ながら考える。これは一体、何なんだろうか、と。しかし、長くその空間にいると徐々にそれらの数字やデータに対する自分の意味付けが無意味な行為ということに思えてきた。きっとその数字たちが表すかもしれない何かは、彼のこの独自の世界観の本質的な部分とは違うのではないか。要するに、あのような白黒反転した展示を体験し、そこにあるソースが何であるかということよりも、作り上げられた空間の放つ現代の情報化社会の見えないものを可視化しようとするかのような試みにこそ感動している自分に気づいたのだ。美術館の地下部分が「白」で地上部分が「黒」っていう反転もまた確信犯なのか。とにかくあれだけ効果的な演出を体感し、どこかスタンリー・キューブリックの映画にでも迷い込んだかの感覚を忘れないようにしたい。

6月11日(木)
 今日は、新しい銅板をやっと購入したので、久しぶりに針で彫り始める。前作同様に建築のないランドスケープに空白の窓をイメージして描き進める。ポストには、これまた久しぶりに「プロジェクト30」の「しおり」が届く。学生時代からの友人からで大変な力作だ。赤をベースにさまざまなビーズや和紙、フェルトなどを綺麗に絵に沿って貼ってくれていた。労力だけでも大変だが、何よりその材料と色合いのバランスに感動した。素晴らしい。想定したように後半戦に入って戻ってくるペースは落ちてきたが、返信はいつでも構わないが皆の机の上で埃をかぶってなくならないことだけを願う。累計63枚。

「マイノリティーについての断片メモ①」

 石山修武研究室では、早くからマイノリティーのための建築をテーマにプロジェクトを進行していたので、学生時代からよくそのことについて考えていた。単純化はよくないが、つまりは何かが欠落することで新しい感覚が研ぎ澄まされて、自由な感性が生まれるのではないかという仮説。つい先日、バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんの快挙の報を聞いて考えた。

 彼は生まれつき目が見えないという身体的な不自由に屈することなく、逆に超人的な聴覚でもって「音楽」という言語を自身の中に築き上げたことに成功した。本来の音楽家が「音楽」を演奏する際、もちろん素晴らしい聴覚と手先の器用さをスタートラインとして、楽器と共に「楽譜」という絶対的パートナーが存在する。世界中の作曲家の名曲が「楽譜」を通して勉強されて、多様な解釈を生み、それぞれの「音楽」として演奏されていく。そうして膨大な音楽の歴史は積み重なってきた。このいわゆる「当たり前の前提」としての「楽譜」がないところから辻井さんの「音楽」は生まれたということが圧倒的。そこには、きっと絶え間ない努力や家族をはじめとした周りの方々の愛情があってのことだというのは、彼の優勝後のインタビューからも分かる。そんな常識という壁をもろともしないで、ピアノと向き合うことで辿り着いた彼の「音楽」の世界観をいつか聴いてみたいと思うし、きっとそう遠くない未来にコンサートに足を運ぶことができるだろう。今からそれが楽しみだ。

 しかし、果たして程度の差こそあれ、全く不自由でない人などいるのだろうか。人間誰しもがどこかで不自由を感じている。それは、マジョリティーということを疑う、あるいは批評する切り口であり、マイノリティーの可能性を考える大きなチャンスなのではないだろうか。辻井くんの快挙を通して、もしくは「音楽」を通して、更には彼の「ライフスタイル」を通して多くの人が何かを感じ、また自分も頑張ってみようという勇気をもらったのではないだろうか。

 いささか唐突ではあるが、村上春樹が今年の春、エルサレム賞の授賞式で行ったスピーチの中で「壁と卵」の話をしている。この場合の壁は「システム」なので話のベクトルが違うのだが、これを「マジョリティー(世間の常識)」と置き換えることで、自分を卵(割れてしまう弱い存在)であるという自覚を持つことからスタートするのはどうだろうか。そうすると他者も卵であることを認識し、自分たちの頭の中にある「マジョリティー(世間の常識)」の壁に向かって何かメッセージを発信することができないだろうかと考えた。少なくとも自分は、そのような価値観を胸に日々の生活を送ってみたい。なぜならきっと誰もが「マイノリティー」なのだろうから。

6月10日(水)
 今朝、イタリア人デザイナーと一緒に仕事をしてローマのテルミニ駅に歩いて向かう夢を見た。あまりに明確だったのでしっかりと記憶して目が覚める。これは何かの予兆だろうか。

「スケッチについて断片メモ①」 

 僕は、ほとんどの建築家がそうであるように旅に出るとスケッチをする。むしろ、スケッチするために旅に出ていると言ってもいいかもしれないくらいだ。学生時代に始めて一人旅に出て、世界の広さを知って驚いた。それで、少しでも多くを体験したいとがむしゃらに街を歩き、スケッチを描いた。しかし、有る時いくら頑張っても旅人が享受できる都市の体験は限定的であることに気付いた。それ以来、少しゆとりをもって旅に出るようになった。要するに一度の旅であれもこれも観ることはできないんだから、気になることがあったら又その都市を訪ればいいと思うようになった。何度も行っている街は、パリ、ローマ、ポルトなど沢山。時間がいくらでもあった学生時代のバックパッカー旅から最近の旅は短くなったので、スケッチも短時間で描くようになった。こうして好きな都市を何度も訪れると自分の中に記憶のレイヤーが生まれ、更なる旅の楽しみが増えてスケッチにも時差が生まれる。

●1999年7月30日 ベネチア、サン・マルコ広場

●2009年5月31日 ベネチア、サン・マルコ広場

6月9日(火)
 午前中、クリニックにて体調管理。気持ちよくなって、打ち合わせを一本。

 これからは徐々に生活の羅列と違った方法を試すべく、日頃考えていることのメモなどをここに書いてみたい。案の定、イタリア旅行中は毎日写真を撮っていたのがパタっと止まってしまったので、日々のことを写真日記的な表現も近くやってみたい。

 「旅について断片メモ①」

 日常生活を営んでいる場所から物理的に移動して離れた非日常を旅だとすると、旅には色々な特徴があることを知る。まず、場所が変わることで視覚、聴覚、嗅覚に対する情報が一変し、人は旅先での新しい環境における新鮮な体験を記録したがる。例えばカメラで写真を撮り、スケッチを描き、文章を書きとめたりする。どのようにしてこのような記録をするかによって、それぞれの気質らしきが表れる。何もしないで、記憶に残したいという人もいるだろう。こうした「記録」ということを普段の日常にも取り入れることができたら、旅の感覚を少しばかりは維持することで新しい刺激を日常からみつけられるのかもしれない。

6月8日(月)
 相変わらず変な時間に目が覚めては、また寝たりの繰り返し。起きたらNBAファイナルがやっていた。コービー・ブライアントの華麗なバスケは未だ健在で、マジックを圧倒していた。フィル・ジャクソンもブルズ時代と何一つ変わらないでコーチしていたことに驚く。マンチェスターのファーガソン監督のごとく。

 午前中、打ち合わせの準備に追われ、慌てて事務所を出て行く。一日中動いていてバタバタしていた。夜、帰宅して落ち着いてグルスキーのドローイングをするも、イタリアへの旅を挟んだこともあって、ペンがうまく動いてくれなかったので止めて、『写真論集成』を拾い読み。

 このサイトを立ち上げて半年が過ぎ、「Everyday Note」の更新もあってか、あり難いことにおよそ百人の人が毎日見に来てくれている。ここでの文章の書き方の工夫についても考えていきたい。サイバーではあるが、せっかくの場所なので何か新しいことを試みてみるのもよいのではないか。やはり、変化していくことこそが継続することの意味でもあるのだから。

6月7日(日)
 午前中、メールなどの雑務。その後は一日中仕事。体調は問題ないのだが、何となく体内時計がズレていて生活する時間帯との差を感じる。時差ぼけらしく、変な時間に極度に眠くなったり、寝つきがいまいち。

 『海馬』(池谷裕二×糸井重里、朝日出版社、2002)を再読する。昔、友人に進められて読んだが、今日本屋で池谷さんの新刊を発見して購入し、予習のつもりでまずはこれを読み直したいと思った。糸井さんとの軽快な対話が実に多くの脳の不思議を暴いてくれて、視覚についてもどうしても見えない場所が存在するなど面白い話が満載。しかし、村上春樹の新刊は未だ売り切れ。本が売れない、活字離れと騒がれるこのご時世に、なかなかどうして。彼だけは、僕も含めて世界中の読者とそれぞれにどこか個人的な関係を築き上げるのに成功しているからだろうか。

6月6日(土)
 午前中、デスクワークと打ち合わせの準備。午後、先日ばったり再会した大学時代の友人二人が来所。卒業式以来だったので、近況を含めて話し合う。構造家とアート関係と分野がまた違うためお互いに色々と意見を交わす。何かプロジェクトを一緒にできたら面白そうなので期待したい。

 夕方、打ち合わせを一本。深夜、日本はウズベキスタンに何とか勝利してワールドカップ出場を決めた。フランス、日韓、ドイツに続いて4大会連続は立派。しかし、出場しただけの今までの大会と違って、やはり南アフリカでは「旋風」を吹かせてほしい。まだ一年あるし、新しい才能も出てくるだろう。9番をつけた岡崎選手は、どこか昔のゴン中山を思わせるプレーだった。メッシやロナウドのような超一流でかっこいいサッカーではなくて、やはり日本の突破口は、しっかり走ってああいう泥臭いプレーで点を取ることなのかもしれない。それにしてもダブル中村も良かっ たけど、個人的には松井が見たかった。毎晩ビックスクリーンで試合を見て、ビールを飲んだドイツの夏から3年も経ったのかと思うとひたすら驚くばかり。

 寝る前、窓から柔らかくオレンジ色に光る満月が見えていた。

6月5日(金)
 朝、成田空港に着く。長旅だったがぐっすり寝られたので時差ボケはないだろう。『ミルク』(監督:ガス・ヴァン・サント、2008)を見て、同性愛者に対する偏見がこの30年間で大きく変化したことを映像で知る。いつの時代にもどのような形であれマイノリティーは存在するのだろう。みなが他者を想像し、差異を受け入れることからしか豊かな多様性は生まれないのだろう。主演のショーン・ペンもうまかったし、何よりエンドロールでご本人の映像が流れたときに顔が似ていることにえらく驚いた。

 空港で村上春樹の新刊を購入しようとするも、売り切れ。目黒駅の本屋も売り切れ。あらあら、残念。荷解きと洗濯をし、部屋の整理とメールなどの雑務。夜、小学校時代の幼馴染とクライアント候補のそのまた友人と食事。何とも面白そうなプロジェクト、ぜひ参加したいとの意志を伝える。まだ具体的なことは何も分からないが、こうした接点を大切にしていきたい。久しぶりの東京は雨降りで、何だか梅雨の予感。

 パンパンのポストには、5通の「プロジェクト30」の「しおり」が返信されていた。ベルリン時代の友人が、信じられないような細かい作業で素晴らしい切り貼りを施して素敵に仕上げてくれ、NIDショップのDUNE社長がこれまたセンスフルに着色してくれた。プロ・スノーボーダーの友人も忙しくて全然会えてないが、可愛く仕上げてくれた。累計62枚。いよいよ折り返しも間近。

6月4日(木)
 七時に起床し、いつものカフェに行く。カプチーノを飲みながらのネット作業。いよいよ十日間のイタリア旅行も終わり、充実した時間を胸に中央駅からマルペンサ空港へ向かう。バスの窓からは立派なプラタナスの木々が見えて、この旅が本当に最高のモノであったことをかみしめる。タミフルのお世話になることもなく、無事旅を終えたので成田空港でも気をつけたい。「家に帰るまでが遠足」とよく小学校の先生が言っていた事を思い出す。

 帰りは、コペンハーゲン経由で成田に向かう。行きとは逆に東に向かって時間と共に飛ぶために今日という日はえらく短くなってしまい、雲の上で一日が終わる。再び日本に着く頃には金曜日になっているので、また気分を新たにしっかりと頑張りたい。

6月3日(水)
 午前中、カフェでメールなどの雑務。こうしてカプチーノとコルネットで始まる一日も明日で最後か。まずは、マッチャキーニまで地下鉄に乗っていく。ベルリン時代にザウアブルッフ・ハットン・アーキテクツで基本設計を担当したオフィスビルの現場に二年ぶりに足を運ぶ。最後の一年間をこの建物の設計に携わったので、どうなっているか楽しみにしていたが、我々のデザイン通りに工事は進んでいて一安心。RCの躯体工事が終わり、ファサードの工事をしていた。カラフルなガラスが建築を覆い始めており、3人で設計していたときのことを思い出す。曲線的な平面を整理してシャープな線の平面に変更したことがうまく機能していることを実感する。問題なく工事も進んでいるようで、来春の完成が楽しみだ。図面や模型でいろいろと試みて決定した形が敷地にてこうして実際に建てられているのを見ると喜びもひとしお。

 午後、ドゥオーモのすぐ裏にあるオディオン劇場で『アンチ・クリスト』(監督:ラース・フォン・トリアー、2009)を観る。今年のカンヌ国際映画祭のコンペ部門に出された問題作。日本での配給がまだ決まってないとのことで、イタリア語吹き替えではあるが観ることにした。ラースらしいダークな映画で、プロローグとエピローグの映像は実に美しかった。しかし過剰な性描写に加え、バイオレントなシーンが連発するため何とも難しい映画であった。『ドッグヴィル』『マンダレイ』に続く三部作をお休みしてのこの作品。一体何を伝えたかったのだろうか。ラースは、どこに向かっているのだろうかと考える。

 ひんやりと冷房の効いた劇場を後にして、気分転換にドゥオーモからポルタ・ロマーナまで散歩。途中、カフェでポストカードを書いて送る。

 夜は友人たちと合流し、テアトロ・アルセナーレにて村上春樹原作の『海辺のカフカ』(演出:井田邦明)の舞台化された作品を観る。イタリア語のために何を言っているか全く理解できなかったが、小説を読んでいるので話の流れはおいかけることができた。役者の演技が若干オーバーに感じたけれども、原作とは別物として楽しめた。その後、友人たちとバーで村上文学について語り合う。95年の阪神大震災と地下鉄サリン事件を機に彼の文学が一つの転機を迎えたことを伝える。しかし、イタリアには熱心な村上リーダーが沢山いるようだ。丁寧につくられた絶妙なカクテルを飲みながら最後の晩餐を楽しむ。帰りに美味いジェラートで酔いを醒ます。イタリアのジェラートはどこでも美味いが、地元の人間の連れて行ってくれるところは格別。濃厚なピスタッチオの味を楽しむ。

6月2日(火)
 午前中、電車に乗ってマジョーレ湖まで行く。スイスの方にはアルプスが見えてどこかチューリッヒを彷彿とさせる壮大な風景が続く。燦々と降り注ぐ太陽に楽しそうに反射する水があまりに美しい。駅には続々と日本からの来客も見えて、タクシーで湖に面した綺麗なお屋敷にたどり着く。何とも結婚式日和。最高の舞台が整って神様の下で誓いの挨拶をして結婚式が始まる。

 思えば11年前の4月に彼と出会い、いろいろなことを共に共有し心から話ができる最高の友人であり、理解者でもある彼とフィアンセの笑顔が会場に詰め掛けたみんなをハッピーな気持ちにさせる。イタリアの大自然と太陽も大いに二人を祝福してくれて、特別な結婚式という時間を共有し、ちょっとひりひりする日焼けと共に忘れがたい思い出をつくることができた。あの会場にいた77人は、心の底から感動し、二人の永遠の愛の証人となりこれからの幸せな生活を楽しみにさせてくれるような経験をさせてくれた。彼は、僕に「有限実行」ということを教えてくれた最高の親友であり、遠くイタリアまでこうして沢山の人と祝福する場所にいられたことを心より感謝している。今日の彼の姿は、いつになくかっこよくて輝いていた。それは、会場にいたみんなが感じたことだろうし、決して忘れることのないかけがいのないものを目にすることができて幸せということについてその背中はメッセージを発していた。

 本当に本当におめでとう!!!そして、何より一生に一度の最高の結婚式をあれだけ素敵な場所で、あれだけの素晴らしい愛のあふれるみんなと共有できたことは一人一人をすごく優しい気持ちにしてくれると共に、人生を心より楽しんでいる姿を見せてくれて、走馬灯のようにこの11年間を考えさせてくれた。きっと、これからも一緒にたくさんの幸せな時間を彼らと過ごせると思うと嬉しい限りであり、何よりまた僕自身もしっかりと頑張っていきたいと思った。

6月1日(月)
 今日も早速ベネチアに向かい、まずは来週から始まるビエンナーレを少しばかり覗きに行く。アルセナーレの公園はいつものように緑々していた。もちろん会場の中には入られなかったが、何度も来ているビエンナーレの会場でまた暑い夏の祭典に思いをはせる。前回は、藤森さんの日本館、そのまた前回は森川さんの日本館が脳裏をよぎる。天気も良く、サン・マルコ広場の方を向いてスケッチをする。全く同じ場所でこれまた数年前にスケッチしたのを思い出しながらの楽しい時間。残り少ないペットボトルに入った水を使って着色する。

 続けてサン・ジョルジオ教会を見に行く。10年前の初めての一人旅でこのすぐ近くのユースホステルに泊まったことなどを思い出す。この街は、何一つ変わらずこうして旅人を迎え入れてくれる。最高の文化の蓄積こそこの時間に対する強度ではないかといつもイタリアでは感じさせてくれる。イカ墨パスタを食して、水上バスでリアルト橋をくぐり、ベネチアに別れをする。今度来るのはいつのことか。夜の電車でミラノに戻る。明日は、いよいよこの旅のメイン・イベントである親友の結婚式。どんなことが起こるのか今からワクワクする。

 

 

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